私の名前は熊田久真子(クマダ クマコ)。
クマった商事の広報担当として働いている、パスタと鮭と、ちょっとお酒が大好きな普通の女子だ。
私の業務は社外へのPR活動に関する資料作成や、自社WEBサイトに掲載する記事の企画からそれに関わる社内部署や業者との各種調整などだ。
普段はデスクに向かう日々だが、休日は自然との対話を求め冒険に出ることが多い。
今回の目的地は千葉県と茨城県の県境にある秘境、古利根沼だ。
かつてこの地域の利根川は南に大きく迂回して流れ、頻繁に大きな水害を引き起こしていた。古利根沼は、この問題を解決するために行われた河川改修工事によって形成された三日月湖である。
この日、朝日が窓ガラスに反射し、輝きを増していた。私は都心から離れ、常磐線に揺られながら取手駅へと降り立った。通常の休日とは異なり、今日は関東の秘境、古利根沼への冒険が待っている。
私はまず、取手の町で探検に必要な準備を整えた。地元の神々に旅の安全を祈願し、大師弁当という古くから伝わる郷土料理を堪能する。そして、旅のお供として地元の銘酒を購入した。
目的地である古利根沼は利根川の対岸に位置するが、関東のアマゾン川とも称される利根川はこの日も波立っており、歩いて渡るのは無謀だ。橋を渡る選択肢もあるが、橋が崩れたらそれまでのこと。
そこで、私は地元の渡し船の船頭と交渉し、対岸まで船で運んでもらうことにした。
この航海は文字通り命がけだ。船は途中、白波を上げながら利根川を横断し、私は緊張の面持ちでライフジャケットをしっかりと身に着けた。
数十分の格闘の末、無事に対岸に上陸したとき、船頭からは心配そうに「お気をつけて」と声をかけられた。それが、私の冒険への励ましとも受け取れた。
利根川の河川敷から堤防に上がると、村々の風景が広がっていた。この辺りは古くからの寺社や墓地、乗り捨てられた車などが点在しており、長い間人々が生活してきた証拠を感じられる。
歩を進めると、ついに古利根沼沿いの地点に到着した。ここには魚釣りの儀式を模擬的に体験する施設があり、そのための大きな池が設けられているが、残念ながらここから古利根沼は見えない。
しかし、この日の冒険のスタート地点として、ここから古利根沼の散策を開始することにした。
原住民が住む村々を通り抜けて行く。農作業に勤しむ老父や近隣地域との商いを行う商人の姿があり、同じ名字の表札が目立つ。
これらの光景は、素朴ながらも活気に満ちた地域社会の生活を物語っていた。
村を抜けると、やがて曲がりくねった険しい山道に差し掛かった。この道を進むと、山中にひっそりと佇む宗教施設に到達する。
ここでの静かな祈りの時間は、私の心に深い平和と安らぎをもたらした。
自然観察の森での体験は、まさに試練の連続だった。
そこは木々が密集し、太陽の光がほとんど届かないため、昼間なのに森の中は暗く、薄気味悪い雰囲気に包まれていた。上からは甲高い鳥の鳴き声が響き渡り、顔めがけて小さな虫が飛んでくる。
地元の伝承によれば、この場所はかつて小田原北条氏の家臣が城主を務めた城の跡地だという。もしその時代の北条勢とここで遭遇したら、現代人の私にはどう対処すれば良いのか想像もつかない。
ほぼ諦めかけたその時、森の出口を示す、かすかな光が目に入った。
これは間違いなく、取手でいただいた大師弁当のご利益のおかげに違いない。神々しい力を感じながら、私は命からがらその場を脱出し、森を抜けることができた。
森の密やかな闇を抜けた瞬間、目の前に広がったのは、魚たちの楽園と称される古利根沼の圧倒的な絶景だった。突然視界が開け、水面に反射する日の光がキラキラと輝いている。
その光は水面全体に広がり、まるで無数の小さな星が湖上に輝いているかのようだ。この壮大な景観に、私は息をのむ。
長い旅の苦労と恐怖を乗り越え、ついにこの神秘的な場所に立つことができたのだから、その感動はひとしおだった。
周囲は静寂に包まれ、ただ沼のせせらぎと風が葉を揺らす音だけが聞こえる。この瞬間、すべての時間が止まったかのような静けさと、達成感に満ち溢れた心境で、私は深い感謝とともに景色を眺めた。
ここに来て本当に良かったと心から思い、その場に立ち尽くす自分を感じながら、この絶景を胸に刻み込んだ。
しかし、古利根沼の絶景に心奪われた喜びも束の間、私は思わぬミスを犯していた。スタート地点に戻り、帰路につこうとしたその時、帰りの船の時間が既に終了していることに気がついたのだ。
我孫子方面への道を選ぶこともできたが、すでに日は沈み始めている。しかしここで野宿をすると、野生動物の襲撃を受けるかもしれない。
不安と緊張を感じながらも、私は空を見上げて深呼吸をし、我孫子方面へと歩を進める決意を固めた。
時刻はすでに19時。休日のため乗合バスも見当たらず、私は1時間以上も歩き続けた。結局、無事に天王台駅に到着することができたが、その道のりは予期せぬ試練の連続だった。
帰宅後、軽くシャワーを浴びて着替えた後、私はお土産に買った銘酒のボトルを手に、行きつけのバーへ向かった。
普段から親しみのあるその場所で今日の経験を振り返るためだ。
「こんばんは、クマ子さん。今日もお疲れさま。」とクマスターが話しかける。
「いつもありがとうございます。今日はちょっと特別な日だったんです。」と私は応え、持参した銘酒のボトルをカウンターに置いた。
クマスターは興味津々でボトルを手に取りながら、「ほう、これは珍しい。どこで手に入れたんですか?」と尋ねた。
私は今日の冒険、利根川を渡り、古利根沼の自然を満喫した話、そして帰路のミスとその結果、長い道のりを歩いて帰ってきたことを彼に話した。
彼は感心しながら聞いてくれ、「クマ子さん、いつもながら冒険家だね。でも、そういうのも君らしいよ」と笑いながら言った。私は疲れもありつつも、この言葉にほっと胸をなで下ろした。
クマスターはその銘酒を開け、二人で乾杯した。
私は「本当に今日一日、生きていることを実感しました」と言った。
そんな私の話に、クマスターは「そういう経験が人生を豊かにするんだ」と真剣な表情で話を聞き、共感を示してくれた。
「これは吉久保酒造の純米吟醸、一品だね。山田錦を使ったこの酒は、その繊細で滑らかな口当たりと、きめ細やかな風味と薫り高い香りが特徴なんだ。」
「口に入れた瞬間、まるで旬な果物のような心地よい刺激があって、梨のような良い香りがしますね。その後お米の甘みが広がりつつ、スッと消えていくのでサッパリしてて飲みやすいです。」
バーの暖かい灯りの下で、私はゆっくりとお酒を飲みながら今日の冒険を振り返った。
波立つ利根川を船で渡り、古利根沼の壮大な自然に触れたことが私の心を豊かにした。
しかし、帰りの船を見逃すミスも、自分がもっと計画的に行動すべきだと教えてくれた。
そんな私に、クマスターは「失敗も経験も人生の糧になる」と温かく言葉をかけてくれた。私は自分の行動的な性格を悪く思わず、どう活かすかが重要だと再認識をした。
確かに計画性は必要だけど、冒険する心と新しい体験への探究心も大切にしたい。そんなバランスを取りながら、私は明日への一歩を踏み出す準備ができた。
そんな思いを巡らせているうちに、バーの時計が深夜を告げていた。そろそろ帰る時間だ。静かな夜道を歩きながら、古利根沼での散策中に得た貴重な思い出が、私の心を優しく照らし続ける。
そして私は、また明日を迎える。
こうしてクマ子の「沼った生活」も続いていく。明日も、そしてこれからも。
古利根沼の訪問記についてはこちらの記事で詳しく紹介しています。
大師弁当に関する詳しいレビューはこちらの記事で紹介しています。
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