私の名前は熊田久真子(クマダ クマコ)。
クマった商事の広報担当として働いている、パスタと鮭と、ちょっとお酒が大好きな普通の女子だ。
私の業務内容は社外へのPR活動に関する資料作成や、自社WEBサイトに掲載する記事の企画からそれに関わる社内部署や業者との各種調整などだ。
在宅ワークが多いとはいっても、普段は都会の喧騒の中で生活し、日々の忙しさに追われている。しかし今日は違った。手賀沼への小旅行は、普段とは異なる自分自身と向き合うための時間だった。
手賀沼は豊かな自然に囲まれ、予想を超えたその美しさに心が奪われた。湖面に映る太陽の光、そよぐ風に踊る木々の葉、そして小さな生き物たちが織り成す生命の舞。
私はiPhoneを手に、カメラでその一瞬一瞬を大切に収めていった。
沼畔のカフェで甘いケーキを味わい、農産物直売所で出会った地元産の珍しいウイスキーは、この日の特別な記念となった。
途中で立ち寄った温泉に浸かり、身体も心も解放される至福の時間。都会の喧騒を離れ、自然の中で新しい発見を享受する喜びが心を満たす。
手賀沼の静寂とそこで過ごした穏やかな時間は、まるで日常からの小さな逃避行のようだった。
湖や沼が昔から好きな私にとって、こんなにも自然を存分に味わえるのは、まさに言葉にできない幸福感そのものだ。
しかし、この幸福感はずっと続くものではなかった。
日が暮れ始めると周囲は急速に暗くなり、少しの不安が心をよぎった。気付くとiPhoneの電池も残りわずか。便利な日常とは裏腹に、こうした非日常の場では、何かと不便を感じる。
そもそも、iPhoneの電源が落ちてしまえば現在地が分からなくなる上に、夜道を照らす懐中電灯も使えず、さらには帰りの電車に乗ることすらままならない。
今ここにあるのは癒しを提供してくれる空間ではなく、全てを覆い隠す暗闇と終わりの見えない沼畔の道、そして岩のように大きな不安感だけだ。
それでも私は気力を振り絞って、最後までその道を歩き通した。幸福感を感じていた頃の私は既になく、ただひたすらゴールを目指して歩く、ただの疲れた人になり果てていた。
それでも何とかゴールに到達して散策を終え、数年ぶりに現金で電車の切符を買って家に戻った。
軽くシャワーを浴びて着替えた後、私はお土産に買ったウイスキーのボトルを手に、行きつけのバーへ向かった。普段から親しみのあるその場所で今日の経験を振り返るためだ。
「こんばんは、クマ子さん。いつもと違う雰囲気ですね?」とクマスターが話しかける。
「ええ、ちょっと今日は自然を満喫してきました。こんなにリラックスできたのは久しぶりです。」と私は答えながら、クマスターの手際の良い動きを見つめつつ、心の中で今日一日の散策を思い返した。
手賀沼で感じた自然の美しさ、そしてそれがもたらした癒しと幸福感。
でも、日が落ちて現実に戻った時の不便さと恐怖感。
これは私にとって、日々の便利さと非日常の狭間でのバランスを考えさせられる貴重な体験だった。非日常の癒しも大切だけど、便利さがなければ生活は成り立たない。
だからこそ、この両者のバランスがいかに大切か、改めて感じた一日だった。
ウイスキーを一口飲みながら、私は考える。もしかしたら都会の便利さも、自然の美しさも、どちらも私たちの生活には必要なのかもしれない。
便利さに慣れきった現代だからこそ、たまには非日常に身を置き、本来の自分を取り戻す時間が必要なのだと。
「クマ子さん、このウイスキー、いい香りがしますね。」私がお土産に渡したボトルを開けながら、クマスターが言った。
「はい、最初は酸味なのかな?って感じるほどのツンとした香りがあって、でもすぐに甘さが広がって、それでいて後味はすっきりしていて飲みやすいですよね。」
「それ、千葉県で初めて作られた地ウイスキーなんですよ。まだ市場に出て数年ですが、味わいが独特でしょう? ストレートかロックで飲むのがおすすめです。」
「確か地元の酒造が頑張って作ってるって書いてありました。どんどん良いウイスキーが生まれるよう、応援したくなりますね。」
バーの温かな灯りの下、私は今日も一日の終わりに感謝する。バーには他のお客さんもいて、それぞれが自分の日常を少しだけ忘れて楽しんでいるようだった。
私も今はこうして少しの間、日常から離れ、心地よい音楽と美味しいお酒に包まれている。
「クマ子さん、今日はどんな写真を撮られたんですか?」クマスターが興味深そうに尋ねる。
「ああ、いろいろですよ。水面に映る光、緑の中を這う小さな生き物たち。今度、写真を持ってきますね。自然の中の、あの穏やかな時間を少しでも共有できたらいいなと思って。」
「楽しみにしていますよ。」
そんな会話を交わしながら、私は再びウイスキーを口にする。その温かみが、手賀沼の静かな水面と穏やかな雰囲気を思い出させ、なんとも言えない感覚に浸る。
今日の散策で得たものは、単なる写真や体験だけではなく、自然と向き合うことで感じる深い感動。それがどれだけ多くの便利さに囲まれていても、人が本来持っている感覚を呼び覚ます。
そして、もう一つ重要なことに気がつく。私たちは非日常を求める一方で、日常の便利さに甘えているのではないかと。自然の中で感じる不便さが、逆に日常のありがたみを教えてくれる。
便利さと非日常の間で揺れ動くこと自体が、もしかすると私たちにとって非常に重要なバランスなのかもしれない。
「次はもっと準備をして、また違う場所を散策したいですね。」そう呟くと、クマスターは笑顔で応じた。
「それもいいですね。いつでもお話を聞かせてください。」
手賀沼での一日を振り返りながら、私はバーでのひとときを楽しんでいる。
都会での忙しい生活に戻る前に、こんな平和な時間も大切にしたい。そして明日からの生活に、今日一日の学びを活かしていけたらと感じる。
そんなことを考えるうちに、バーの時計が深夜を告げている。そろそろ帰る時間だ。
静かな夜の帰り道、手賀沼の散策で得た多くの思い出が心の中で輝き続ける。そして私は、また明日を迎える。
こうしてクマ子の「沼った生活」も続いていく。明日も、そしてこれからも。
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手賀沼の訪問記についてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。
クマ子の小説風ブログ 第4話はこちら。
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