19XX年の関東防衛戦略:千葉県の要、国府台城と里見公園の物語

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こんにちは。クマった商事の広報担当、熊田久真子(クマ子)です。

皆さん、神奈川県と千葉県は仲が悪いって聞いたことありますか?
現代において実際にそうなのかは分かりませんが、かつては本当に仲が悪かったようです。

神奈川県の大名である北条氏と、千葉県の大名である里見氏はずっと対立してきました。今回は、その象徴のような場所に行ってきましたので、私の妄想100%でお伝えしようと思います。

里見公園の急階段を恐る恐る上るクマ子

今回私が訪れたのは歴史とロマンが交錯する場所、市川市のおすすめスポットでもある里見公園です。(里見公園公式サイト)

 

19XX年、関東の緊張が高まる中…

19XX年、神奈川県と千葉県の関係性は悪化の一途を辿り、一触即発の状況に陥っていました。

そんな中、千葉県が普段から「東京」という地名を勝手に使用することに憤っていた東京都は、神奈川県との不戦協定を締結し、暗黙のうちに神奈川県の千葉県侵攻を承認してしまいました。

里見公園の正面玄関
里海公園の園内案内図

焦った千葉県は国際空港の名称を「新東京」からオリジナルの地名に変更する計画であることを発表しますが、状況は改善せず。

成田国際空港第一ターミナル

関東に緊張が高まる中、千葉県は埼玉県と茨城県に応援要請を行いましたが、両県ともに一揆(珍走団)の鎮圧に追われていて動けず、前向きな回答を得るには至りませんでした。

里見公園の広々とした芝生

千葉県の防衛戦略

完全に孤立無縁状態に陥った千葉県は、千葉県知事によって緊急安全対策会議が招集され、神奈川県軍がどのルートで侵攻してくるかについて検討が行われました。

長い検討の結果、神奈川県軍の侵攻ルートは以下の3つであると結論付けられます。

里見公園に関する千葉県の会議

東京湾アクアラインルート

まずは神奈川県から千葉県への最短ルートである東京湾アクアラインルートでの侵攻が予想されました。これに対し、千葉県軍は海ほたる城(千葉県木更津市)で迎え討つことができます。
(千葉県による東京湾アクアラインの紹介サイト)

仮に海ほたる城が陥落した場合においても、海ほたる城から木更津までは海上橋区間であり陸海空から神奈川県軍を攻撃できるため、守りやすく攻め辛い場所です。

そもそもアクアラインは渋滞も酷いので、まともな行軍はできないでしょう。
そのため、このルートは戦線の膠着が予想されました。

東京湾城に浮かぶアクアライン海ほたる城

東京湾海上ルート

次に海上からの侵攻ルートについては、横須賀の米海軍や海上自衛隊は当然不参加のため、神奈川県軍が東京湾フェリーで車両部隊や兵員を金谷港へ上陸させてくる可能性が示唆されました。
(東京湾フェリー公式サイト)

東京湾フェリー金谷港

しかしこのルートも金谷港の防御を固めることで防ぐことができ、また東京湾フェリーの船舶数が限られていることから、大規模な上陸作戦は実施できないと考えられます。

つまりこの海上ルートについても主戦場にはならないと結論付けられました。

東京湾フェリーの船舶、かなや丸

江戸川渡河ルート

最後に、神奈川県軍が東京湾をぐるっと周って江戸川を渡り、陸路で千葉県に侵攻して来るルートについての検討が行われました。

このルートは行軍の距離も長く、兵站の確保も困難になりますが、東京都が事実上の神奈川県支援を表明しているため、現時点では最も有力な選択肢であると考えられました。

江戸川鉄橋城から国府台台地を望む

このルートで神奈川県軍を千葉県に侵入させないためには、何としてでも江戸川を渡河させない必要があります。

つまり、千葉県は江戸川を前にして神奈川県軍を迎え撃つための一大拠点が必要だったのです。

国府台城から江戸川を見下ろした風景

国府台城の戦略的重要性

千葉県は江戸川渡河を防ぐための拠点について検討しました。

その結果、江戸川沿いにある国府台の台地は戦国時代の城郭(国府台城跡)であり、少ない予算で活用できるとの判断から、ここに江戸川防衛の一大拠点、新国府台城を築くことになりました。

里見公園の国府台城跡エリア、石垣
里見公園の国府台城跡エリア、石垣

江戸川を渡る橋は何ヶ所かありますが、神奈川県軍が新国府台城を無視して通り過ぎれば、敵に背後を取られることになります。よって、神奈川県軍は新国府台城を攻撃せざるを得ません。

さらに、新国府台城は江戸川・利根川を通じて埼玉県や茨城県と水運で繋がっており、戦局が千葉県優位に進めば、両県からの支援を得られる可能性があります。

里見公園の国府台城跡エリア、土塁
里見公園の国府台城跡エリア、土塁

さらに埼玉県、茨城県が味方に加われば東京都も神奈川県との不戦協定を破棄するかもしれず、戦局が一気に逆転する可能性が高まります。

逆に、神奈川県が新国府台城を手中に収めれば、水運を利用して関東奥地まで実効支配の地域を広げ、いずれは東京都を追い落として日本の首都の座を奪う機会が訪れるかもしれません。

里見公園の国府台城跡エリア、明戸古墳石棺
里見公園の国府台城跡エリア、明戸古墳石棺

神奈川県に首都の座を奪われでもしたら、日本はまた鎌倉を中心とした封建制度の時代に戻ってしまいます。神奈川県知事も、きっとこの野心を実現するために国府台へ攻め込もうとするでしょう。

鎌倉鶴岡八幡宮

このように、国府台は戦略的に非常に重要な場所なのです。
国府台を制するものは天下を制する。と、きっとどこかの誰かも言ったはずです。

江戸に入府した徳川家康が早々に廃城にしてしまったことからも、この国府台に城があるということが、いかに驚異なのかが分かります。

国府台城の破棄を命じる徳川家康

もののふ達の夢のあと:里見公園の現状

さて、このような経緯により、千葉県知事は市川市に新国府台城の築城を命じます。
しかし担当職員が何を勘違いしたのか、国府台城跡に綺麗な公園やバラ園を作ってしまいました。

里見公園のバラ園
里見公園のバラ園
里見公園のバラ園

担当職員は「築城しろって、親父ギャグかと思いましたよ。城だけに。」と後日新聞社のインタビューに答えています。

色々ありましたが、結果として今では県民たちの憩いの場となる里見公園が完成しました。

その後、神奈川県と千葉県は何事もなかったかのように仲直りをしたそうです。

里見公園のバラ園

まとめ

こうして、千葉県の防衛戦略の一環として誕生した里見公園は、今では美しいバラ園と歴史的な遺跡が点在する市民の憩いの場となっています。

里見公園の広々とした芝生ではしゃぐクマ子

一応補足しておきます。誰も信じていないと思いますが、この記事は全部フィクションです。

かつて戦国時代に国府台城がどれだけ重要な場所だったのか?ということを理解して頂くため、現代の架空のお話にそれっぽく置き換えて記事にしています

里見公園は、千葉県の歴史と自然が調和した美しいスポットです。市川市を訪れた際には、ぜひ国府台城と里見公園を訪れて、その魅力を感じてください。

次回の記事では、さらに隠れた名スポットを紹介します。お楽しみに!

なお、市川市のおすすめスポットはこちらのまとめ記事でも紹介していますので、ぜひご覧ください。

市川市のおすすめスポット:国府台駅から始まる江戸川散歩
市川市の国府台駅から江戸川沿いを散策し、歴史と自然を楽しむ旅をご紹介。おすすめスポットが満載です。

 

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